father カンボジアへ幸せを届けた ゴッちゃん神父の物語

4月7日(土)より 新宿武蔵野館にて2週間限定モーニングショー

愛する家族や友人たちを奪った戦争で なぜ自分は生き残されたのか。 未来と教育を奪われた子どもたちは どうすれば救われるのか。 国境も宗教も越えて歩み続ける ゴッちゃん神父86歳の旅路。 カトリック中央協議会広報推薦 出演:後藤文雄 監督(製作ボランティア代表):渡辺考 撮影:ボアーン・ロアト 録音:折笠慶輔 編集:松本哲夫 音楽:半野喜弘 朗読:古舘寛治 2018/日本/カラー/ドキュメンタリー/16:9/HD/95分 配給・宣伝:新日本映画社 製作:映画「father」製作委員会 ©一般社団法人ファーザーアンドチルドレン 

解説・あらすじ

笑う・飲む・歌う・踊る?!
…枠にとらわれない人間味あふれる86歳現役神父・通称ゴッちゃん集成の旅。
その旅は、後藤の人生を通して、時代と人のつながりを紐解く旅につながっていく――

 2015年、8月。カトリック神父・後藤文雄、愛称・ゴッちゃん(撮影当時86歳)。
「これが最後の旅になるかもしれない」…この映画は、年老いた後藤がそう言ってカンボジアへ旅立つところから始まる。1929年新潟県長岡市の、浄土真宗の寺の息子として生まれたかつての皇国少年は、いつしかカトリック神父となり、独身にして14人の子どもを育て上げた。逃れられない戦禍、最愛の母との最悪の別れ、家族との軋轢・葛藤、思春期の初恋、そして人生の多くを費やすこととなるカンボジア難民の子どもたちとの出会いと関わり、、、その人生は、見えないなにかに導かれるかのごとく紡がれていく。
 1981年、祖国の内乱や殺戮から日本に逃れてきたカンボジア難民の子どもを受け入れ育て、その関わりから始まったカンボジアでの学校作りは、広がった支援の輪により、19校にのぼる。 その集成となるカンボジアへの旅と故郷長岡への旅、そして後藤の日常を追った足かけ2年にわたる記録に、後藤の半生を加えて織り交ぜ追いかけたドキュメンタリー映画。
「平和を考え続けた巡礼のような人生」を送る86歳の神父ゴッちゃんが、いまを生きるあなたへ届けたいメッセージ。

後藤文雄プロフィール

御年86歳のカトリック神父にして、酒を好み、おおいに笑い、歌い、踊る…
親しみやすいその人柄は多くの人に慕われ、みんなは親しみを込めて「ゴッちゃん」と呼ぶ。
私利私欲を捨て、人のために生きる人生を歩んできた「ゴッちゃん」。
その魅力の背景には、深い悲しみを伴う生い立ちと、出会った人々とともに丁寧に紡いできた確かな父なる道があった。

1929年9月13日
新潟県長岡市に生まれる(現在89歳(撮影当時は86歳))
1950年
神言神学院入学
1960年
カトリック司祭になる。以後、名古屋カトリック南山教会 東京カトリック吉祥寺教会などを歴任、今日に至る。(現在、吉祥寺教会の協力司祭)
1981年~
14人のカンボジア難民の子どもを里子として引き取り自ら育てる。
その後、長きにわたりカンボジア支援を続ける。
2003年
NPO法人「AMATAK カンボジアと共に生きる会」設立
2006年
第10回米百俵賞 受賞 。2007年 第19回毎日国際交流賞 受賞。
著書に「カンボジア発 ともに生きる世界」(女子パウロ会)、「よし! 学校をつくろう」(講談社)がある。

登場人物紹介

祖国の内乱や殺りくから逃れてきた少年たち。はじめは声も小さく、声変わりもしていなかった。
自由に話すことが困難だった時代に育った彼らの多くは、声帯の発達が遅れていた。

メアス・ブン・ラー
「父母の帰りを、ただ待って待って、ずっと待っているんです」
1982年、15歳で後藤の里子になる。王室の末裔で、事業で成功していてポルポト政権下で連行された両親の帰りを待ち続けている。3人の妹も行方不明になる(1994年の家族探しの旅で二番目の妹と再会を果たす)。日本の定時制高校を卒業後、写真の専門学校に入学、慣れない環境のなかで次第に思い詰める日々が続き、そこで初めて心の奥底に秘めていた過去を後藤に告白する(ポルポト政権下当時、少年兵として活動していたなかで犯した罪に苛まれ続け、命を絶つことまで考えていたことなど)。後藤と「犠牲になった人たちが生きていたらやったであろう良きことをしていこう」と誓う。1994年、カンボジアでの家族探しの旅の中で出会った寺の僧侶から、学校づくりを相談されたことをきっかけに、以来後藤や支援者とともに20年にわたり19の学校を完成させてきた。
チア・ノル
「新人民として、過酷な労働をさせられた」
1981年、13歳で後藤の最初の里子になる。
父は医師で裕福な家庭に育つ。ポルポト政権下で、父と兄二人は連行され戻らなかった(父は処刑、二人の兄は殺された)。本人も、新人民として母とともに収容所で強制労働を強いられ、土木作業や農作業をさせられた。後藤の里子になった当時、学校への初登校日前夜には眠れないほど緊張していたため、その夜は後藤が一緒に眠った。それから無事に学校に通い始めるも、ノルに限らず、難民に対する差別・いじめがはじまり、子どもたちの多くは自殺を考えるまでになっていく。それを知った後藤は先生方に「無知と無関心からなる偏見と差別は、無知と正面から向き合う必要がある。生徒さんたちに、国を捨てて逃れて来ねばならなかった彼らの背景をしっかり伝えてほしい。」とお願いし、先生方も前向きに取り組んでくれ、次第にいじめがなくなっていった。 現在はアンコール遺跡調査国際チームのメンバーとして活動。学校づくりに協力。自らも学校や橋づくりをしている。
チア・サンピアラ
「どんなに辛いことがあっても、あの頃には行き着かない」
1982年、15歳で後藤の里子になる。ノルの従兄弟。
ポルポト政権下では、新人民として家族でただ一人、生き残った。映画では、辛い当時を振り返り「12、13歳で、目の前で人が殺される光景が日々繰り返されると、次第に慣れてくる。死刑囚が死の目前の足音を聞くときの気持ちがわかる。ポルポト派の気配に怯える日常のなかで考えていたのは、殺される時はどうすればいいか、ということばかり。日々、死を覚悟して生きていた」一方で「どんなに辛いことがあってもそれ以上の地獄は無いんじゃないかというくらい『命の重み』を痛感した。だからこそちょっとしたことに幸せを感じるようになった」と目に涙をためて語る。カンボジアの復興の力になりたいと大学(電気工学専攻)に進学。その後、実業家として活躍し、現在はプノンペンで事業を営み国内外を飛び回っている。その傍ら、日本のテレビ局の通訳コーディネート業務も行っており、近年は担当した作品が文化庁芸術祭優秀賞に輝いた。著書に「そしてぼくだけが生き残った―あるカンボジア難民の証言」(学習研究社)がある。
ソムナム・ダッチ
「お父さんの笑顔が見たくて頑張っています」
映画の終盤に出てくる女性。 後藤が出会った頃、小学校6年生だった彼女は、身売りの危機にあった。当時の校長先生から「大切な生徒が少女買春に売られていくのが耐えられない、なんとかしてほしい」と手紙をもらい、後藤は、彼女の家に行き、身売りしないですむ方法を両親と相談し説得。寸でのところで身売りの危機を逃れた彼女は勉学に勤しみ、中学、高校、短大へと進学。村で初めての中学の先生になった。 彼女は映画のなかで「(後藤神父は)いつも支えてくれるお父さん。笑顔が見たくて頑張っています」と語る。現在は、中学校の先生をしている。

一般社団法人ファザーアンドチルドレン

<社団法人の連絡先・寄付窓口 >
一般社団法人ファザーアンドチルドレン

  • 所在地:東京都港区新橋四丁目5番15号(法人設立:2017年12月7日)
  • 目的:本社団は、カンボジアその他諸国の子どもの教育に関する関心を培う場の提供を通じて、普遍的な国際理解の豊かな人材を創出し、もって社会全体の利益の増進に寄与することを目的とするとともに、その目的に資するため、次の事業を行う。
1)教育に関する調査、研究、政策提言及び助成
2)教育に関する催事、講演、研修、映像制作及び出版事業
3)その他本社団の目的を達成するために必要な事業

この映画の収益の一部は、一般社団法人ファザーアンドチルドレンを通し、カンボジアその他諸国の子どもたちの教育支援活動に寄付致します。この映画を一人でも多くの方にご覧頂き、ゴっちゃんを知って頂き、そしてこれからも続くゴッちゃんの世界の子どもを愛する活動にご協力いただけるならこんな幸せなことはありません。
一般社団法人ファザーアンドチルドレン 代表理事 吉岡哲郎

推薦コメント

人生の中で、後藤神父さんのような「スケールの大きい人物」に出会う機会は滅多にありません。殻に閉じこもって安定しようとする内向きな今の時代に、「外に目を向けて、チャレンジしろ」と、ご自分の人生全体をもって私たちを鼓舞しつづけている。本当の「大物神父」に、この映画で是非であってください。
菊地功(カトリック東京大司教区 大司教)
戦争と家族。信仰と差別。教育と寛容。そして他者との共存。神父の86年の生涯は、まさしくこの国の現在を照射する。優しさを持ち続けることはこれほどに難しく、そしてこれほど自然だ。
森達也(作家・映画監督・明治大学特任教授)
この映画の監督・渡辺考(通称・考さん)とは、NHKのカズオ・イシグロ特集、西田幾多郎特集を通じて知り合った。ひょうひょうとした人柄のなかに、独特の毅然さを持った人である。一緒に仕事をして、考さんのドラマツルギーは、過剰に説くことではなく、登場人物の時間軸をして自ずと語るべきことを語らしめる、というものだとわかった。ここでも、後藤文雄という知る人ぞ知る稀代の国際人に光をあて、彼自身が生きた戦中・戦後史の時間軸と、ポル・ポト時代を生き延びたカンボジアの人々の時間軸が交差する中で、それぞれの戦禍が個人の心の深部に切りつけた傷と、そこからの治癒が静かに描かれる。もうひとつの考さんドラマツルギーの肝は、その外見からはすぐには想像できない、みずみずしい青春への憧憬である。カーテンを揺らす風、夕焼けの残照、遠くの十字架、木立の中を走り去り、振り返る少女。誰の心の中にでもひっそりとしまわれている光の粒たちだ。理知を共有するための道具であるはずの言葉が、感情による分断を煽る道具と化してしまった現在、何が回復されなければならないのかをストレートに問いかける、今まさに見るべき映画として見た。
福岡伸一(生物学者・青山学院大学教授)
人の幸せに生きる人生。その源流を探っていくなかで伝わってくる戦争の悲惨さ。罪のない子ども達へ戦争が残した傷。カンボジアの悲しい歴史。そんな全てを真正面から受け止めて生きてこられたゴッちゃん神父の生き方。映画の最後で語られたご自身の幸せについての言葉が、深く心に響きました。
佐賀龍彦(歌手・LE VELVETS)
ゴッちゃん神父の表情にも生き様にも、一点の計算も厭らしさもない。ただ目の前の、血のつながらない子ども達に無償の愛を注ぎ続けた。
ポル・ポト政権下で、「殺される時はどうしたらいいのか、目をつぶるのか、万歳をするのか」としか考えられなかった少年が、ゴッちゃんに育てられ、輝く目をする大人になった。愛は、子ども達の未来につながっていく。ゴッちゃん神父のストーリーを知ると、誰もが自分の中の善のスイッチを押したくなるのでは。
教来石小織(NPO法人 World Theater Project 代表)
自分が泣いても世界から悲しみは消えない
けれど
この子の涙をぬぐうことはできる
と
ゴッちゃんは
目の前の子を抱きしめる

人の痛みを
我が事のように
思える
そんなかみさまのような
ひとのことを追いかけたドキュメンタリーである。

人を愛したり
抱きしめるのに
理由はいらない
ただ
そうしたいからなのだ
そんな当たり前の流れで
ゴッちゃんは学校をつくり
難民の子の父親になった

わたしもそんな風に
たくさんのこどもからお母さんと呼ばれるような
愛があふれる人になりたい
うまくできるかどうかわからないけど
なって欲しいって言われたら
やっぱりとにかくぎゅっと包んじゃうのだ
血がつながってなくっても
それはそれで
親子って呼んでいいんだと思う
大切なのはそこに流れる愛だから。
一青窈(歌手)
時代の波に翻弄されながら大事な人を亡くし、そして新たな家族と出逢う。
不条理な事だらけの世の中で、暗闇の中にも「愛」は人の心に育まれ続けるのだと信じさせてくれる。
鶴田真由(女優)